抜歯
母が生まれて初めて歯を抜いた
兄に看てもらった1年余りの間に口内環境が悪化してしまった
元来歯と歯茎がとても丈夫な母は歯の治療を殆どしたことがなかった
来週79歳を迎えるが全て自分の歯だ
帰ってきたその日に歯痛を訴えた
口を開けてみると右上の犬歯の前後、ひどい虫歯になって半分欠けてしまっていた
なんとなく兄家族に不満を抱くもどうしようもない
お願いしたのは私である
母は心臓の手術をしているので血の流れをよくするワーファリンという薬を服用している
出血が止まらないこともある
また抜歯の後心臓にバイ菌がまわると大変なことになるらしい
それを対応できる長野市民病院の歯科・口腔外科への毎週の通院が始まった
通院から1ヶ月、歯石除去やお掃除も終わり、家庭内での口内環境づくりもしっかりできてきた
そして歯医者の環境にも慣れたので
これだけは抜くより仕方ないという1本を昨日抜いたのだ
前日の午後「明日抜くよ」と言ってから母はとてもナーバスになってしまった
口数も少なく持ち前の笑顔も辛そうだった
夜は「明日は大仕事だから早く寝るよ」と8時に寝てしまった
朝も「あァ緊張しちゃうわ~」と落ち着かない
診察台に座ってからも先生に「今日抜くんですか?」と念押しの質問
私が診察室から出てから15分、あっという間に事は済んだ
見に行くとガーゼを噛んでニコニコと座っている
もちろん麻酔が効いているので痛みはあるはずもない
止血の様子を見るために待合室でしばらく待つ
すると母
「ねえ、これから抜くの?」
「え”!もう抜いたんだよぉーーー」
大笑いしてしまった
そのくらい全く痛みがなく感じていないらしい
抜いた後の歯茎はしっかりと黒い糸で縫いこまれている
帰ってから麻酔が切れた頃痛みが出るからといただいた痛み止めも出番がなかった
夕食は普通にとっても良いということだったが軟らかいメニューにした
大好きなかぼちゃの煮付けをほうばって「おいしいねー」と本来の笑顔が戻った
あの先生は素晴らしい!と母は絶賛
深夜も起きることなく爆睡だった
出血も大したことがなく、麻酔明けの痛みもなく、食も変わらずで
心配は取り越し苦労となった
今朝も元気にデイサービスへニコニコ出かけた
ハァ~よかった
完治までには3ヶ月くらい通い続ける予定
あと10年元気に自分の歯で食べてもらうためにバァちゃん頑張ろうね
暑くなる頃には元気で丈夫な歯を取り戻していることだろう
兄に看てもらった1年余りの間に口内環境が悪化してしまった
元来歯と歯茎がとても丈夫な母は歯の治療を殆どしたことがなかった
来週79歳を迎えるが全て自分の歯だ
帰ってきたその日に歯痛を訴えた
口を開けてみると右上の犬歯の前後、ひどい虫歯になって半分欠けてしまっていた
なんとなく兄家族に不満を抱くもどうしようもない
お願いしたのは私である
母は心臓の手術をしているので血の流れをよくするワーファリンという薬を服用している
出血が止まらないこともある
また抜歯の後心臓にバイ菌がまわると大変なことになるらしい
それを対応できる長野市民病院の歯科・口腔外科への毎週の通院が始まった
通院から1ヶ月、歯石除去やお掃除も終わり、家庭内での口内環境づくりもしっかりできてきた
そして歯医者の環境にも慣れたので
これだけは抜くより仕方ないという1本を昨日抜いたのだ
前日の午後「明日抜くよ」と言ってから母はとてもナーバスになってしまった
口数も少なく持ち前の笑顔も辛そうだった
夜は「明日は大仕事だから早く寝るよ」と8時に寝てしまった
朝も「あァ緊張しちゃうわ~」と落ち着かない
診察台に座ってからも先生に「今日抜くんですか?」と念押しの質問
私が診察室から出てから15分、あっという間に事は済んだ
見に行くとガーゼを噛んでニコニコと座っている
もちろん麻酔が効いているので痛みはあるはずもない
止血の様子を見るために待合室でしばらく待つ
すると母
「ねえ、これから抜くの?」
「え”!もう抜いたんだよぉーーー」
大笑いしてしまった
そのくらい全く痛みがなく感じていないらしい
抜いた後の歯茎はしっかりと黒い糸で縫いこまれている
帰ってから麻酔が切れた頃痛みが出るからといただいた痛み止めも出番がなかった
夕食は普通にとっても良いということだったが軟らかいメニューにした
大好きなかぼちゃの煮付けをほうばって「おいしいねー」と本来の笑顔が戻った
あの先生は素晴らしい!と母は絶賛
深夜も起きることなく爆睡だった
出血も大したことがなく、麻酔明けの痛みもなく、食も変わらずで
心配は取り越し苦労となった
今朝も元気にデイサービスへニコニコ出かけた
ハァ~よかった
完治までには3ヶ月くらい通い続ける予定
あと10年元気に自分の歯で食べてもらうためにバァちゃん頑張ろうね
暑くなる頃には元気で丈夫な歯を取り戻していることだろう
2008年04月26日 Posted by メコン at 11:54 │Comments(2) │母と義母
畳の香り
義母が今週末にようやくやってくるので今月は義母が入る部屋の手入れをした
ワタシが生まれた頃に建てたままの家
特に義母が入る予定の部屋は全く手を入れていなかったため物置状態だった
それを3月下旬、重い腰を上げて片付けた
もうお尻に火がついてしまったからだ
父が集めたガラクタ・・・(ワタシにはそうとしか思えない)本当に申し訳なくも処分させてもらった
さてゴミ袋に何個分だったろうか?
ゴミステーションに車で何往復したろうか?
まだ使えそうな家具はリサイクルに出した
もう弾かれなくなって久しいピアノは10月に友人宅へ輿入れ予定、それまでは仏間へ
殿と2人、大移動させた
毛布の上に厚い板を乗せて、その上にピアノを乗せてひたすら引きずる技
3時間、夫婦の連帯感が深まる
オススメシマス
部屋が空っぽになって思う
6畳って広い
大工さんに入ってもらい手入れをしてもらう
左官屋さんは有害物質を吸ってくれる珪藻土壁を塗ってもらい
ふすま屋さんに明るくかわいらしいふすま紙を貼ってもらう
そして畳屋さんには新しく今どきのスタイロ畳を新調してもらう
すっかり生まれ変わった西の6畳間、旅館のひと部屋のよう
新しい畳の青いよい香りが家中に漂う
ここの部屋にだけはまだ生活感がない
義母がここの部屋の主となって彼女の色に染めていく
義母は嫁に行っていない(婿取り)なので77歳にして初めての引越し
そして他人と暮らすのは(他人の飯を食うのも)初めてのことである
義母にとっては一世一代の大決心であったろう
だから自分の部屋くらいは前の生活観を感じられない
できるだけ新しい空間に入れてあげたかった
義母も新しい畳の香りを楽しみにしている
そして殿とワタシ、そして私の母と4人での賑やかな暮らしも心待ちにしてくれている
ま、急がずゆっくりだ
この畳の香りが抜ける頃、義母もココの生活に慣れてくれているだろう~
ワタシが生まれた頃に建てたままの家
特に義母が入る予定の部屋は全く手を入れていなかったため物置状態だった
それを3月下旬、重い腰を上げて片付けた
もうお尻に火がついてしまったからだ
父が集めたガラクタ・・・(ワタシにはそうとしか思えない)本当に申し訳なくも処分させてもらった
さてゴミ袋に何個分だったろうか?
ゴミステーションに車で何往復したろうか?
まだ使えそうな家具はリサイクルに出した
もう弾かれなくなって久しいピアノは10月に友人宅へ輿入れ予定、それまでは仏間へ
殿と2人、大移動させた
毛布の上に厚い板を乗せて、その上にピアノを乗せてひたすら引きずる技
3時間、夫婦の連帯感が深まる
オススメシマス
部屋が空っぽになって思う
6畳って広い
大工さんに入ってもらい手入れをしてもらう
左官屋さんは有害物質を吸ってくれる珪藻土壁を塗ってもらい
ふすま屋さんに明るくかわいらしいふすま紙を貼ってもらう
そして畳屋さんには新しく今どきのスタイロ畳を新調してもらう
すっかり生まれ変わった西の6畳間、旅館のひと部屋のよう
新しい畳の青いよい香りが家中に漂う
ここの部屋にだけはまだ生活感がない
義母がここの部屋の主となって彼女の色に染めていく
義母は嫁に行っていない(婿取り)なので77歳にして初めての引越し
そして他人と暮らすのは(他人の飯を食うのも)初めてのことである
義母にとっては一世一代の大決心であったろう
だから自分の部屋くらいは前の生活観を感じられない
できるだけ新しい空間に入れてあげたかった
義母も新しい畳の香りを楽しみにしている
そして殿とワタシ、そして私の母と4人での賑やかな暮らしも心待ちにしてくれている
ま、急がずゆっくりだ
この畳の香りが抜ける頃、義母もココの生活に慣れてくれているだろう~
2008年04月17日 Posted by メコン at 20:00 │Comments(2) │母と義母
命日
今日は義父の命日
義母に電話をした
「あ~ら覚えててくれたの?ありがとね」
逢ったことはない もう亡くなられて12年も経つ
初めて殿の実家のお仏壇へお参りしたとき写真を見て驚いた
「殿はお父さんにそっくりだ・・・(ニヤリ)」
父親の闘病中、横浜にいたのであまり看てあげることができなかった殿は
余り語りはしないが後悔があるように思う 私の感だけど・・・
だから2年前に横浜から長野へ来た
母親の面倒はみなければいけないという気持ちが大きかったのだろう
「お互いの親を大事にしよう」結婚のときにした約束
新年から母、義母、殿そしてメコンの4人暮らしが始まる
ようやく・・・病気の母を迎えることができる
ようやく・・・義母の一人暮らしの心配がなくなる
あと2,3年で80を迎えようとしているふたりのバアバと一緒の生活を殿とメコンは楽しみにしている
周りの友人からは「大変だね~」「エライね~」と言われるが
本人たちはかなり楽観している^^
そりゃ多かれ少なかれトラブルが起きるのはわかっている 他人だもの
でもそれ以上に、4人が一緒なら大丈夫!という確信もある
本来一緒に住む必要が無い私の母も「一緒に」と言ってくれた義母のやさしさを忘れない限り
いや、決して忘れてはならないと思う
義母は毎日身の回りのものを片付けている
「畑のアスパラの苗は持って行くからね」
お婿さんをとった義母は77年間生まれ育った土地から離れることは身を切られる思いに違いない
それなのにそんなことはすっかりふっ切って、新しく畑を開墾することに意欲満々!
私の母とお茶を飲んだり話をしたり、休みの日には買い物に行ったりしたいな・・・と、本当に前向きな人だ
そして「とにかく病気の人が一番大事だからね」と母の心配を欠かさない
神仏に欠かさず手をあわせ、何事もご先祖様のお陰と話す義母
私たちが出会えたのもそうだという
そういった科学的に証明できないことを殿は時々嫌がる
でも今日、私はまんざらでもない気がしてきた
義母の影響か?・・・義父の命日だからか?
義母に電話をした
「あ~ら覚えててくれたの?ありがとね」
逢ったことはない もう亡くなられて12年も経つ
初めて殿の実家のお仏壇へお参りしたとき写真を見て驚いた
「殿はお父さんにそっくりだ・・・(ニヤリ)」
父親の闘病中、横浜にいたのであまり看てあげることができなかった殿は
余り語りはしないが後悔があるように思う 私の感だけど・・・
だから2年前に横浜から長野へ来た
母親の面倒はみなければいけないという気持ちが大きかったのだろう
「お互いの親を大事にしよう」結婚のときにした約束
新年から母、義母、殿そしてメコンの4人暮らしが始まる
ようやく・・・病気の母を迎えることができる
ようやく・・・義母の一人暮らしの心配がなくなる
あと2,3年で80を迎えようとしているふたりのバアバと一緒の生活を殿とメコンは楽しみにしている
周りの友人からは「大変だね~」「エライね~」と言われるが
本人たちはかなり楽観している^^
そりゃ多かれ少なかれトラブルが起きるのはわかっている 他人だもの
でもそれ以上に、4人が一緒なら大丈夫!という確信もある
本来一緒に住む必要が無い私の母も「一緒に」と言ってくれた義母のやさしさを忘れない限り
いや、決して忘れてはならないと思う
義母は毎日身の回りのものを片付けている
「畑のアスパラの苗は持って行くからね」
お婿さんをとった義母は77年間生まれ育った土地から離れることは身を切られる思いに違いない
それなのにそんなことはすっかりふっ切って、新しく畑を開墾することに意欲満々!
私の母とお茶を飲んだり話をしたり、休みの日には買い物に行ったりしたいな・・・と、本当に前向きな人だ
そして「とにかく病気の人が一番大事だからね」と母の心配を欠かさない
神仏に欠かさず手をあわせ、何事もご先祖様のお陰と話す義母
私たちが出会えたのもそうだという
そういった科学的に証明できないことを殿は時々嫌がる
でも今日、私はまんざらでもない気がしてきた
義母の影響か?・・・義父の命日だからか?
2007年09月28日 Posted by メコン at 16:29 │Comments(4) │TrackBack(0) │母と義母
お中元
義理の母(殿の母)から電話があった
義母「親子なんだからお中元なんていいのよぉ~」
メコン「・・・?」 ・・・・「あ!そうだった送ったんだったよぉ」
そうそういつもお世話になっている宅配便のお兄ちゃんに頼まれて注文したんだった
宅配会社のドライバーさんも大変だ
お中元、お歳暮、バレンタイデー、母の日など贈り物のシーズンにはセールスのノルマが課せられる
配達、集荷だけがしごとじゃないんだよ・・・ホント大変
お中元を贈る先が特に思い当たらなかったメコン
お盆に帰省するからそのときみんなで食べよう、と殿の実家を送り先に選択
普段お口にはいらなそうなもの・・・それは・・・奮発してグラム1200円の信州牛!!!
よっ!清水の舞台から真っ逆さま!!!
あんなに頑張って注文しちゃったのに忘れていた
そう、注文してお金払ったところで自己完結してしまったのだ
まだ食べてなかったよ
メコン「お母さん、お盆に帰るときまで・・・」
義母「だと思って冷凍庫行きにしましたよっ」
さすが殿の母上、わかってらっしゃる^^
義母「親子なんだからお中元なんていいのよぉ~」
メコン「・・・?」 ・・・・「あ!そうだった送ったんだったよぉ」
そうそういつもお世話になっている宅配便のお兄ちゃんに頼まれて注文したんだった
宅配会社のドライバーさんも大変だ
お中元、お歳暮、バレンタイデー、母の日など贈り物のシーズンにはセールスのノルマが課せられる
配達、集荷だけがしごとじゃないんだよ・・・ホント大変
お中元を贈る先が特に思い当たらなかったメコン
お盆に帰省するからそのときみんなで食べよう、と殿の実家を送り先に選択
普段お口にはいらなそうなもの・・・それは・・・奮発してグラム1200円の信州牛!!!
よっ!清水の舞台から真っ逆さま!!!
あんなに頑張って注文しちゃったのに忘れていた
そう、注文してお金払ったところで自己完結してしまったのだ
まだ食べてなかったよ
メコン「お母さん、お盆に帰るときまで・・・」
義母「だと思って冷凍庫行きにしましたよっ」
さすが殿の母上、わかってらっしゃる^^
2007年08月07日 Posted by メコン at 16:03 │Comments(4) │TrackBack(0) │母と義母
30年前のびんずるの日
小2の夏、私は親戚に預けられていた
3歳上のいとこの順子ちゃんに連れられてバスで長野駅まで出てきた
母の見舞いに行くためだ
あの頃、長野日赤は中央通り近く、現農協ビルのところにまるで不夜城のように建っていた
2階建てだったか3階建てだったか・・・とにかく古めかしい木造で階段の手すりは黒光りし
酸っぱいような苦いような薬品の臭いが漂う、子供にとっては恐ろしいところに思えた
夜になると沢山の病室の窓から蛍光灯の灯りがこぼれていた・・・
大人になって思い出す度に香港の不夜城と重なる
その恐ろしい不夜城に母は長期間入院していた
順ちゃんとふたりで手をつないで向かう道、長野駅から日赤までのたった10分の道のりなのに
あの日はとてもとても遠く感じた
駅前は既にびんずる祭りの真っ最中
あっちからもこっちからも「ソーッレ!ソーッレ!」と耳が痛くなるほどの掛け声が迫ってくる
そして、しゃもじを叩きながら踊るおじさんやおばさんたちが私たちに襲い掛かってくるように思えた
中央通の歩道、大人の人混みを掻き分けて通り抜けようとするがなかなか前に進まない
順ちゃんは楽しそうに屋台を指差して何かしゃべっている
私は順ちゃんの手をしっかり握り着いていくだけで精一杯だった
とにかくこの人混みを早く早く通り抜けたかった
そしてお母さんに会いたかった
ようやく藤嘉(現・オレンジペコ)の角を曲がったとき、あの恐ろしげな不夜城が見えてきた
入口がどうだったか?なんて全く覚えていない
ただただ階段の「キーキー」「ミシッミシッ」という恐ろしげな音だけが記憶として残っている
汗でぐっしょりになって離しかけていた順ちゃんの手を再びギュっと握った
私たちの足音以外何も聞こえないシーンとした病棟、外からは祭りの賑やかな音が聞こえる
3歳しか違わないのに小5の順ちゃんはとてもとてもお姉さんだった
何病棟の何階の何号室かをきちんと覚えていて、怖がることも無く迷うことも無く私を連れて行ってくれた
「キーーーーッ」と病室のドアを開けるとベッドの上の蛍光灯が目に入った
その下に目をやると1週間ほど前に脊髄腫瘍の大手術をした母がミイラのように横たわっていた
私がその前に母に会ったのは手術の前、もちろん普通に元気に起きていて
「おばあちゃんちでお利口にしているんだよ、宿題は早めにやってしまいなさいよ」
などと夏休みにダレがちな生活を心配して、ちょっと小うるさいことすらいっていた
あの母が髪を剃られ、首をぐるぐる巻きにされて、体を石こうの型に入れられていた
ミイラ・・・の表現しか思い当たらなかった
順ちゃんの手を握ったままドアのそばで立ちすくんでいた
「ふたりきりでよく来たね」母に付き添っていた叔母がニコニコと手招きした
「節っちゃん、ミッチャンが来たよ」目を閉じている母に叔母が呼びかける
母のベットに近寄ると、繋いでいた順ちゃんの手が私の肩を押した
恐る恐る顔を覗き込む
石こうの型にはめられて身動きひとつできない母のまぶたがゆっくりと開いた
「おかあさん」
たったひとこと、その言葉しか出なかった
今ならどんなに励ます言葉をかけてあげられたろう・・・あのときの私はあまりにも幼かった
手術前とは恐ろしく別人になってしまった母にその言葉しかかけられなかった
今まで病気の症状でどんなに苦しかったり痛かったりしても涙ひとつ見せなかった母
その母の目から涙がこぼれた 言葉は何も無い
しばらく叔母から母の状況を説明してもらい
順ちゃんとふたりで頷いて聞いていた
術後の経過は順調であること、でも大手術だったからまだまだ退院はできないこと
そして石こうが痛くて痛くて眠れないでせつないことを、叔母は母に代わって説明しながら泣いてた
帰りは叔母が病院の出口まで送ってくれた
来るときはあんなに元気だった順ちゃんはなんだか無口になっていた
今考えれば「帰りにこれ買おうねーーー」と鮮やかな色のキャンディー屋台を指差していた気がする
なのに私の手を引いてその屋台を通り過ぎ、大人の人ごみの中黙々と歩いていく
私を母のところへ連れて行くという大役を果たして疲れてしまったのか
私の母の姿を見てさすがの順ちゃんも恐ろしかったのか・・・
それとも母と私の気持ちを察してだったのか・・・
大人になってから順ちゃんとこの話はしていないので本当のところはわからない
びんずるの日の思い出
こんな町の中心で仕事をしていながらびんずるを見たことが無い
毎年人の波に逆らって早めに帰宅する
3歳上のいとこの順子ちゃんに連れられてバスで長野駅まで出てきた
母の見舞いに行くためだ
あの頃、長野日赤は中央通り近く、現農協ビルのところにまるで不夜城のように建っていた
2階建てだったか3階建てだったか・・・とにかく古めかしい木造で階段の手すりは黒光りし
酸っぱいような苦いような薬品の臭いが漂う、子供にとっては恐ろしいところに思えた
夜になると沢山の病室の窓から蛍光灯の灯りがこぼれていた・・・
大人になって思い出す度に香港の不夜城と重なる
その恐ろしい不夜城に母は長期間入院していた
順ちゃんとふたりで手をつないで向かう道、長野駅から日赤までのたった10分の道のりなのに
あの日はとてもとても遠く感じた
駅前は既にびんずる祭りの真っ最中
あっちからもこっちからも「ソーッレ!ソーッレ!」と耳が痛くなるほどの掛け声が迫ってくる
そして、しゃもじを叩きながら踊るおじさんやおばさんたちが私たちに襲い掛かってくるように思えた
中央通の歩道、大人の人混みを掻き分けて通り抜けようとするがなかなか前に進まない
順ちゃんは楽しそうに屋台を指差して何かしゃべっている
私は順ちゃんの手をしっかり握り着いていくだけで精一杯だった
とにかくこの人混みを早く早く通り抜けたかった
そしてお母さんに会いたかった
ようやく藤嘉(現・オレンジペコ)の角を曲がったとき、あの恐ろしげな不夜城が見えてきた
入口がどうだったか?なんて全く覚えていない
ただただ階段の「キーキー」「ミシッミシッ」という恐ろしげな音だけが記憶として残っている
汗でぐっしょりになって離しかけていた順ちゃんの手を再びギュっと握った
私たちの足音以外何も聞こえないシーンとした病棟、外からは祭りの賑やかな音が聞こえる
3歳しか違わないのに小5の順ちゃんはとてもとてもお姉さんだった
何病棟の何階の何号室かをきちんと覚えていて、怖がることも無く迷うことも無く私を連れて行ってくれた
「キーーーーッ」と病室のドアを開けるとベッドの上の蛍光灯が目に入った
その下に目をやると1週間ほど前に脊髄腫瘍の大手術をした母がミイラのように横たわっていた
私がその前に母に会ったのは手術の前、もちろん普通に元気に起きていて
「おばあちゃんちでお利口にしているんだよ、宿題は早めにやってしまいなさいよ」
などと夏休みにダレがちな生活を心配して、ちょっと小うるさいことすらいっていた
あの母が髪を剃られ、首をぐるぐる巻きにされて、体を石こうの型に入れられていた
ミイラ・・・の表現しか思い当たらなかった
順ちゃんの手を握ったままドアのそばで立ちすくんでいた
「ふたりきりでよく来たね」母に付き添っていた叔母がニコニコと手招きした
「節っちゃん、ミッチャンが来たよ」目を閉じている母に叔母が呼びかける
母のベットに近寄ると、繋いでいた順ちゃんの手が私の肩を押した
恐る恐る顔を覗き込む
石こうの型にはめられて身動きひとつできない母のまぶたがゆっくりと開いた
「おかあさん」
たったひとこと、その言葉しか出なかった
今ならどんなに励ます言葉をかけてあげられたろう・・・あのときの私はあまりにも幼かった
手術前とは恐ろしく別人になってしまった母にその言葉しかかけられなかった
今まで病気の症状でどんなに苦しかったり痛かったりしても涙ひとつ見せなかった母
その母の目から涙がこぼれた 言葉は何も無い
しばらく叔母から母の状況を説明してもらい
順ちゃんとふたりで頷いて聞いていた
術後の経過は順調であること、でも大手術だったからまだまだ退院はできないこと
そして石こうが痛くて痛くて眠れないでせつないことを、叔母は母に代わって説明しながら泣いてた
帰りは叔母が病院の出口まで送ってくれた
来るときはあんなに元気だった順ちゃんはなんだか無口になっていた
今考えれば「帰りにこれ買おうねーーー」と鮮やかな色のキャンディー屋台を指差していた気がする
なのに私の手を引いてその屋台を通り過ぎ、大人の人ごみの中黙々と歩いていく
私を母のところへ連れて行くという大役を果たして疲れてしまったのか
私の母の姿を見てさすがの順ちゃんも恐ろしかったのか・・・
それとも母と私の気持ちを察してだったのか・・・
大人になってから順ちゃんとこの話はしていないので本当のところはわからない
びんずるの日の思い出
こんな町の中心で仕事をしていながらびんずるを見たことが無い
毎年人の波に逆らって早めに帰宅する
2007年08月04日 Posted by メコン at 14:02 │Comments(5) │TrackBack(0) │母と義母
笑い顔
明日、母が退院することになった
暫くは自宅でも寝たり起きたりの状態だろうけど
明日退院できるよ、というと嬉しそう
母は何処へ行っても「いつもニコニコおばあちゃんだね」と言われる
母はいつの頃からか笑い顔になった
だからいつもニコニコして見える
小脳梗塞を患ってから耳が殆ど聞こえなくなった
体も不自由である
人の手を借りなければ生活して行けない
話しかけて聞こえていなくても、嬉しそうな答えは笑顔
手を差し伸べたときに「ありがとう」と一緒に見せてくれるのも笑顔
例えばこちらがイライラしていても
母の笑顔を見るととてもやさしい気持ちになれる
もしかしたら気持ちよくやってもらうための彼女なりの努力が
いつの間にか習慣になったのかもしれないが・・・
神様は体の自由が利かなくなった代わりに
母にとっておきの笑顔を授けてくれたような気がしてならない
暫くは自宅でも寝たり起きたりの状態だろうけど
明日退院できるよ、というと嬉しそう
母は何処へ行っても「いつもニコニコおばあちゃんだね」と言われる
母はいつの頃からか笑い顔になった
だからいつもニコニコして見える
小脳梗塞を患ってから耳が殆ど聞こえなくなった
体も不自由である
人の手を借りなければ生活して行けない
話しかけて聞こえていなくても、嬉しそうな答えは笑顔
手を差し伸べたときに「ありがとう」と一緒に見せてくれるのも笑顔
例えばこちらがイライラしていても
母の笑顔を見るととてもやさしい気持ちになれる
もしかしたら気持ちよくやってもらうための彼女なりの努力が
いつの間にか習慣になったのかもしれないが・・・
神様は体の自由が利かなくなった代わりに
母にとっておきの笑顔を授けてくれたような気がしてならない
2007年07月20日 Posted by メコン at 15:02 │Comments(2) │TrackBack(0) │母と義母
四人で暮らすということ
木曽・奈良井の殿の実家は来春消えて無くなる
観光用の道路が家にかかってしまうのでお取り潰しとなる
義母は御歳77歳、まだまだお元気ではあるがこれから新しい暮らしを独りではじめる歳ではない
ワタシが一緒に暮らそうねぇ~と言ったのがよかったのか?
もう独り暮らしが淋しくなってしまったのか?
「あんた達と一緒に暮らしたい」と言ってくれた
お婿さんをもらった義母は奈良井を出たことがない だからもっと奈良井に執着しまくると思った
意外とすんなり長野暮らしが決まって拍子抜けしたのが今年のお正月のこと
私はずっと殿に言えなかったことがあった
「私の母も一緒に・・・」と
そりゃ言えない、一応嫁いだ身の上
その気持ちを知ってか知らずか、今回の母の入院騒ぎの前に
「アナタの本当の気持ちを言ってみて」と殿が聞いてきた
いつ言おうか、今日言おう、明日言おう、と半年経ってしまったことをようやく口にした
何故か涙が溢れてしまった
「殿とアタシとお義母さんと・・・ワタシのお母さんと4人で暮らしたい・・・」
「なんでもっと早く言わないの?俺が反対すると思った?」
4人で暮らすことに賛成であること、いつも私の母を心配してくれている義母も同様であることを話してくれた
そして殿はずっと話さないでいた私を叱咤した
「俺は大事なこともくだらないこともなんでも話すようにしているけど
アナタは特に大事なことを話さないでいることが多い 先延ばしにして良い結果はけして生まれない」と
確かにそうだ
私としては「話せなかった」んだけど、もっと早く話せばよかったと反省
そして、殿に感謝
これから、殿の姉妹や私の兄夫婦に話すにあたって色々な摩擦が起きるだろう
でもお互いの母が安全で穏やかな老後を送れるためにちょっと努力してみよう
私たちは色々な優先順位をちょっと変えることにした
観光用の道路が家にかかってしまうのでお取り潰しとなる
義母は御歳77歳、まだまだお元気ではあるがこれから新しい暮らしを独りではじめる歳ではない
ワタシが一緒に暮らそうねぇ~と言ったのがよかったのか?
もう独り暮らしが淋しくなってしまったのか?
「あんた達と一緒に暮らしたい」と言ってくれた
お婿さんをもらった義母は奈良井を出たことがない だからもっと奈良井に執着しまくると思った
意外とすんなり長野暮らしが決まって拍子抜けしたのが今年のお正月のこと
私はずっと殿に言えなかったことがあった
「私の母も一緒に・・・」と
そりゃ言えない、一応嫁いだ身の上
その気持ちを知ってか知らずか、今回の母の入院騒ぎの前に
「アナタの本当の気持ちを言ってみて」と殿が聞いてきた
いつ言おうか、今日言おう、明日言おう、と半年経ってしまったことをようやく口にした
何故か涙が溢れてしまった
「殿とアタシとお義母さんと・・・ワタシのお母さんと4人で暮らしたい・・・」
「なんでもっと早く言わないの?俺が反対すると思った?」
4人で暮らすことに賛成であること、いつも私の母を心配してくれている義母も同様であることを話してくれた
そして殿はずっと話さないでいた私を叱咤した
「俺は大事なこともくだらないこともなんでも話すようにしているけど
アナタは特に大事なことを話さないでいることが多い 先延ばしにして良い結果はけして生まれない」と
確かにそうだ
私としては「話せなかった」んだけど、もっと早く話せばよかったと反省
そして、殿に感謝
これから、殿の姉妹や私の兄夫婦に話すにあたって色々な摩擦が起きるだろう
でもお互いの母が安全で穏やかな老後を送れるためにちょっと努力してみよう
私たちは色々な優先順位をちょっと変えることにした
2007年07月09日 Posted by メコン at 15:25 │Comments(4) │TrackBack(0) │母と義母
母を見舞う
母の口におかゆを運ぶ
母の歯磨きを手伝う
9ヶ月前まで毎日していたこと
10年の間で母も老い、私の慣れもでた
あの時はうんざりすることも度々あった
一昨夜から入院をした母に私は毎日会えることが嬉しくてたまらない
私の結婚を機に、実家ではなく兄夫婦宅で同居を始めた母には思うようには会えなくなっていた
病院では毎日来て顔を見て、色々してあげることができる
母を大切にしよう、とあらためて思う
母の歯磨きを手伝う
9ヶ月前まで毎日していたこと
10年の間で母も老い、私の慣れもでた
あの時はうんざりすることも度々あった
一昨夜から入院をした母に私は毎日会えることが嬉しくてたまらない
私の結婚を機に、実家ではなく兄夫婦宅で同居を始めた母には思うようには会えなくなっていた
病院では毎日来て顔を見て、色々してあげることができる
母を大切にしよう、とあらためて思う
2007年07月05日 Posted by メコン at 12:08 │Comments(6) │TrackBack(0) │母と義母
慣れ
店に着いたら兄から留守電が入っていた
「お母さんが昨夜入院しました。市民病院の○棟○階です」
一昨日から具合が良くないことは聞いていたのでそうたいして驚かなかった
とりあえず検査だと言うので今行っても仕方ないことはわかっている
兄も仕事に出ている
私たち兄弟は両親の病気や入院ということに慣れてしまっている
最初は私が小2、兄が中1のときだった
母が脊髄腫瘍で手術し3ヶ月以上入院を強いられた あの頃は長期だった
私は親戚に預けられ、父は病院に泊まりこみながら仕事をし、そして家事をこなしていた
その後、私が小5のとき父が網膜はく離で2度の手術を県外でした
・・・・・・
あれから20年以上の間、両親の入退院を何度経験しただろう
幼い頃、ウチには「入院セット」があった 「お泊りセット」みたいだ
本当は慣れてはいけないことなのだろうが
兄もワタシもお互いするべきことはよくわかっているので比較的冷静に対応できてしまう
だから昨夜の入院でも今朝連絡が来た
急を要さないことはそうしている
同じ症状で3年前に入院したときは「癌」の疑いと言われた
さすがの私も一晩中眠れず、仏様の前でただひたすら祈った
幸いにしてその疑いは晴れ、高齢なので病気と上手に付き合っていきましょうということで退院した
今回の症状は3年前と似ている
体が不自由な母に何故これ以上苦しみを与えるのか?と神、仏を憎く思うこともある
少し早めに店を閉めて、母のところに行きます
「お母さんが昨夜入院しました。市民病院の○棟○階です」
一昨日から具合が良くないことは聞いていたのでそうたいして驚かなかった
とりあえず検査だと言うので今行っても仕方ないことはわかっている
兄も仕事に出ている
私たち兄弟は両親の病気や入院ということに慣れてしまっている
最初は私が小2、兄が中1のときだった
母が脊髄腫瘍で手術し3ヶ月以上入院を強いられた あの頃は長期だった
私は親戚に預けられ、父は病院に泊まりこみながら仕事をし、そして家事をこなしていた
その後、私が小5のとき父が網膜はく離で2度の手術を県外でした
・・・・・・
あれから20年以上の間、両親の入退院を何度経験しただろう
幼い頃、ウチには「入院セット」があった 「お泊りセット」みたいだ
本当は慣れてはいけないことなのだろうが
兄もワタシもお互いするべきことはよくわかっているので比較的冷静に対応できてしまう
だから昨夜の入院でも今朝連絡が来た
急を要さないことはそうしている
同じ症状で3年前に入院したときは「癌」の疑いと言われた
さすがの私も一晩中眠れず、仏様の前でただひたすら祈った
幸いにしてその疑いは晴れ、高齢なので病気と上手に付き合っていきましょうということで退院した
今回の症状は3年前と似ている
体が不自由な母に何故これ以上苦しみを与えるのか?と神、仏を憎く思うこともある
少し早めに店を閉めて、母のところに行きます
2007年07月04日 Posted by メコン at 15:18 │Comments(2) │TrackBack(0) │母と義母
ほうば餅
殿の母から荷物が届きました
メコンのリクエストにこたえて早速作ってくれた
「ほうば餅」
木曽地方の家庭でこの時季に作るお餅です
1ヶ月遅れの端午の節句に柏餅の代わりに食されます
米を石臼で挽き、くず粉を混ぜて自家製の小豆餡を包みます
そして大きなほうばの木の葉っぱで包み大きな蒸し器で蒸し上げます

荷物の蓋を開けた途端、ほうばの葉の香りが広がり幸せな気持ちになりました
この葉は防腐効果があるそうで冷蔵庫が無い昔はこうして風通しの良いところへ吊るしておいたそうです
先人の知恵ですね
義母お手製のほうば餅
子供のゲンコツほどボリュームがありますが、小豆の甘みは控えめですぐにペロリいただきました
ありがとう、おかあさん^^
メコンのリクエストにこたえて早速作ってくれた
「ほうば餅」
木曽地方の家庭でこの時季に作るお餅です
1ヶ月遅れの端午の節句に柏餅の代わりに食されます
米を石臼で挽き、くず粉を混ぜて自家製の小豆餡を包みます
そして大きなほうばの木の葉っぱで包み大きな蒸し器で蒸し上げます

荷物の蓋を開けた途端、ほうばの葉の香りが広がり幸せな気持ちになりました
この葉は防腐効果があるそうで冷蔵庫が無い昔はこうして風通しの良いところへ吊るしておいたそうです
先人の知恵ですね
義母お手製のほうば餅
子供のゲンコツほどボリュームがありますが、小豆の甘みは控えめですぐにペロリいただきました
ありがとう、おかあさん^^
2007年07月02日 Posted by メコン at 16:00 │Comments(2) │TrackBack(0) │母と義母
母の誕生日
明日は4月29日、昭和天皇の誕生日
そして私の大切な母の誕生日です
母は10年以上前から闘病しています
介護度4の身障者です
結婚前、母とふたりずっと二人三脚でした
私が結婚すると言ったとき、母は自ら兄家族の世話になると言いました
兄もそれを望みました
私はそれに甘えました
あれから7ヶ月、1日たりとも母を思い出さない日はありません

明日は母の誕生日
プレゼントにバックを選びました
カワイイのが好きな母、バックの地が少々地味なのでピンクのコサージュを
通院やデイサービスに持って行ってくれるといいな
おめでとう、お母さん
そして私の大切な母の誕生日です
母は10年以上前から闘病しています
介護度4の身障者です
結婚前、母とふたりずっと二人三脚でした
私が結婚すると言ったとき、母は自ら兄家族の世話になると言いました
兄もそれを望みました
私はそれに甘えました
あれから7ヶ月、1日たりとも母を思い出さない日はありません
明日は母の誕生日
プレゼントにバックを選びました
カワイイのが好きな母、バックの地が少々地味なのでピンクのコサージュを
通院やデイサービスに持って行ってくれるといいな
おめでとう、お母さん
2007年04月28日 Posted by メコン at 15:26 │Comments(6) │TrackBack(0) │母と義母
義母とふたりで
先週末は深夜の酔っ払いから逃げるため(←殿のこと)殿の実家、奈良井宿にひとりで帰った
翌日、殿が迎えに来てくれるというので久々に電車でトコトコ・・・ミニ一人旅気分♪
花盛りで、車窓から桜、桃、林檎などお菓子を頬張りながらお花見
奈良井に到着した頃にはすっかり真っ暗で、そしてかなり寒い
木曽地方はまだまだ朝晩冷え込む
自分でドアを開ける電車に生まれて初めて乗った
開け方がわからなくおたおたしていたら高校生がボタンを押してくれた
「ども、ありがと」
無人の駅にお義母さんが迎えに来てくれていた
へ、切符も箱に入れるだけなんだね
メコンの大好物の野菜料理をテーブルいっぱいに用意してくれて
ゲコなのにビールもお酒も付き合ってくれた
深夜までずーーーーっとしゃべり通し!メコンは合いの手を打つ係り
ひとり暮らしのお義母さんはいつもTVと話しているのだろうか?
大半が俳優や歌手の名前が出てこなくて大笑いになる
メコンはわかっていても「お義母さん、思い出して!思い出そうとする脳の働きが大事!」と言う
殿にいつも言われていること
「あ~今夜は賑やかな夕飯だ♪」って、賑やかなのはお義母さんだよ^^;
お義母さんがいっぱいに詰めた箱を持ってきた
まさか来ると思わなかったから送ろうと荷造りしていたって
お友達がイタリアに行くって言うから
『「ウチのお嫁さんチーズと辛いものが大好きなのよ」って言ったらお土産に買ってきてくれたのよ』
とペペロンチーノオイルとチーズを得意げに見せる^^
義母「むこうはこんな紙袋なんだってぇーもっとシャレてればいいのにね」
メコン「なんかマーケットっぽくていい感じじゃない^^」
あとはホタテの缶詰とか乾物が入っている
これは何処でも買えるけど、ちと値がはるものなんでいただけるととても嬉しい
友達からもらったというお香は「お店で焚いてね」と
久しぶりだからか、話が尽きない
いい加減もう夜中の1時だから片付けて寝ようということになった
翌日はふたりでお墓参りにいった
お彼岸に行けなかったのがとても気になっていたのだ
宿場街道やお墓に行くときは必ず線路を横切る
横切ると言うのが正しい 踏切ではないところを渡るのだ
初めて遊びに行った時はとてもびっくりした
それも「ココでふたりばかり死んだのよ」とか平気で言う(><)
それでも生まれたときからそうしているから止めない

ひょいひょいと線路を渡る義母
そのあとをメコンは恐る恐る渡る
翌日、殿が迎えに来てくれるというので久々に電車でトコトコ・・・ミニ一人旅気分♪
花盛りで、車窓から桜、桃、林檎などお菓子を頬張りながらお花見
奈良井に到着した頃にはすっかり真っ暗で、そしてかなり寒い
木曽地方はまだまだ朝晩冷え込む
自分でドアを開ける電車に生まれて初めて乗った
開け方がわからなくおたおたしていたら高校生がボタンを押してくれた
「ども、ありがと」
無人の駅にお義母さんが迎えに来てくれていた
へ、切符も箱に入れるだけなんだね
メコンの大好物の野菜料理をテーブルいっぱいに用意してくれて
ゲコなのにビールもお酒も付き合ってくれた
深夜までずーーーーっとしゃべり通し!メコンは合いの手を打つ係り
ひとり暮らしのお義母さんはいつもTVと話しているのだろうか?
大半が俳優や歌手の名前が出てこなくて大笑いになる
メコンはわかっていても「お義母さん、思い出して!思い出そうとする脳の働きが大事!」と言う
殿にいつも言われていること
「あ~今夜は賑やかな夕飯だ♪」って、賑やかなのはお義母さんだよ^^;
お義母さんがいっぱいに詰めた箱を持ってきた
まさか来ると思わなかったから送ろうと荷造りしていたって
お友達がイタリアに行くって言うから
『「ウチのお嫁さんチーズと辛いものが大好きなのよ」って言ったらお土産に買ってきてくれたのよ』
とペペロンチーノオイルとチーズを得意げに見せる^^
義母「むこうはこんな紙袋なんだってぇーもっとシャレてればいいのにね」
メコン「なんかマーケットっぽくていい感じじゃない^^」
あとはホタテの缶詰とか乾物が入っている
これは何処でも買えるけど、ちと値がはるものなんでいただけるととても嬉しい
友達からもらったというお香は「お店で焚いてね」と
久しぶりだからか、話が尽きない
いい加減もう夜中の1時だから片付けて寝ようということになった
翌日はふたりでお墓参りにいった
お彼岸に行けなかったのがとても気になっていたのだ
宿場街道やお墓に行くときは必ず線路を横切る
横切ると言うのが正しい 踏切ではないところを渡るのだ
初めて遊びに行った時はとてもびっくりした
それも「ココでふたりばかり死んだのよ」とか平気で言う(><)
それでも生まれたときからそうしているから止めない

ひょいひょいと線路を渡る義母
そのあとをメコンは恐る恐る渡る




